「やりたくない」が力になる

私は何かをやる時には

消去法のような

「これは絶対にやりたくないからこっちをやる!」

という方法をとる事が多くある。

 

 

例えば、高校入試。

私は勉強が好きじゃないから一般入試の筆記試験は受けたくなかった。

だから高校は推薦入試で行くと決めていた

その為に委員会活動などに参加したりして実績作りをした。

 

「筆記試験は受けたくない」という思いがやる気になった。

 

中2か3の頃、学校に行きたくなくて仮病を使って休むことが増えた。不登校になりそうだった。

そんな時に校内推薦か何かの基準を見た

「欠席日数が○日以下の生徒」という記述があり、あと1、2回休むと推薦に志願出来ないという状況だった。

これはやばい。これ以上休むと筆記試験を受けなきゃいけなくなる。それは嫌だ。

それから推薦入試で内定もらうまでは1度も休まず、

内定後も取り消されないようになるべく休まないように心掛けていた、と記憶している。

 

「筆記試験を受けたくない」という気持ちが力になった。

 

 

 

 

あれはやりたくないからこれをやるっていう選択の仕方は良くは思われないだろうけど、

私自身は

これやりたい、ああなりたいと思って始めた事より

これはやりたくない、ああはなりたくない、だからこっちをやろうって始めた事の方がモチベーションは保たれる

(因みに、あれはやりたくないからこれをやるなんて堂々とデカい声では言えないからギリギリ嘘にならない程度に志望動機なんかを書くためにテキトーな事を言う能力みたいなのは養われる気がする)

 

 

 

筆記試験を受けないために実績作りとか、成績下げないようにしたり、休まないようにしたりとか色々頑張ったけど

私の行った高校は英語とか数学とかは習熟度でクラス分けをするという事で推薦とか一般とか関係なく志願者全員筆記試験を受けなきゃいけなかったから

結局私は合格決まってたにも関わらずノー勉で筆記試験受けた。

頑張ってきた意味。

 

 

おしまい